ジッケンノート

社会人を目前に初めてジャニーズに落ちた人間がどのような経過を辿るのか記録する

10年前女子高生だった極楽とんぼファン(吠え魂リスナー)が思うこれまでとこれからの話

春先以来久々のお笑いの話。

というか、煮詰まりすぎたので思ってることまとめる。

先日のめちゃイケを受けて、賛否両論出ることは予想していたし、やはり女性層からは特に反発が強いなと思ったので一ファンの私見に過ぎないけど、極楽とんぼの女性ファンとして、これまでのこと、これからのこと、まとめて残しておきたいなと思ったので、ブログに認める。

 

  • はじまり

今から14年前、2002年冬、SMAP香取慎吾くんの主演ドラマと同時期に放送されためちゃイケのSPがそもそものはじまり。

キレ芸と喧嘩コントの怖い荒々しい芸風の彼ら。

時々テレビで見掛けても怖いなと思ってあんまりちゃんと見ていなかった。

そもそも、まだお笑いオタクですらなかった。

めちゃイケ加藤浩次の結婚と奥様の出産に密着したSP。

24時間カメラを回すことでテレビの短い出演じゃわからない彼の人間くさくて誠実なところが沢山映っていた。

男らしく強く、でも真面目で優しい。

同時、まだ小学校5年生だった私はぼんやりこんな人と結婚できたら素敵だろうなと。

若手の頃は男前と言われたそれなりに整った顔と元女優の美人な奥様を見て、 加藤夫妻のファンになった。

じゃあ、その時、加藤浩次の相方のことをどう思っていたかと言えば、面白いけど好きでも嫌いでもなかった。

まだ、コンビのファンではなかった。

 

  • 吠え魂リスナーになった中学生

それから数ヶ月後、小学校6年生の夏休み。

暑さで寝苦しくて目が覚めて、中々再び眠りにつくことができなくて、本当何の気なしに滅多につけないラジカセをつけた。

いくつかチューニングをしているとどこかで聞いたことのある声がして、チューニングする手を止めた。

TBSラジオ 極楽とんぼの吠え魂だった。

テレビよりさらに自由で放送コードは多分ギリギリで、下ネタ全開で。

夜中に起きてこんな教育的には絶対悪いラジオを聴いていることにドキドキして、でもこんな教育的に悪そうで刺激的なものなんて普通に生活してたら出会えないから私はラジオに釘付けになった。

金曜日の深夜1時。小学生が起きて迎えるには少し時間が深くて毎回ちゃんと聞けたわけじゃないけど、私は彼らのラジオのリスナーになった。

それから、少しずつ他の芸人さんのラジオやテレビを見るようになって、私はお笑いオタクになった。

クレヨンしんちゃんすら観てはいけないと言われて漫画の類も10歳まで与えられずに育ったから、厳格な父は彼らの出るバラエティーにいい顔はしなかったけど、何度も何度も交渉してめちゃイケガキの使い(当時同じく好きになった雨上がりがよく出ていた)を見る権利を得た。

中学生になって夜ふかしすること自体はそんなに難しくなくなって、でも、土曜日に授業のある学校に進んだから金曜日に夜ふかしをすると土曜日の授業は半分以上船を漕いで過ごす。

土曜日の夜は天国でめちゃイケがあって、スーパーサッカーを見る、日曜日は朝からガッチリ マンデー。

金曜日の夜から週末は極楽とんぼ漬け。

一番極楽とんぼと深夜ラジオが好きだった時代で、吠え魂じゃなく、ニッポン放送の中高生向けラジオで上田晋也の知ってる!?24時という番組があって、期間限定コーナーではあったのだけれど、芸能人にラブレターをしたためる企画で加藤浩次宛に書いたラブレターが採用されたのは、ラジオに投稿したネタが初めて読まれたことと合わせて今でも当時のMDを捨てられないでいる。

思い立って聞き直すと大して面白くないのだけれども。

 

  • 2006年のあの日から

それから、数年の間に私のお笑いオタクは進行して若手芸人の何組かを応援するようになった。

これはジャニオタブログでもあるからジャニオタ的に言うと担降りみたいなものである。

でも、決して極楽とんぼが嫌いになったわけじゃなくてもっと応援したいと思う人ができてしまっただけで、でもめちゃイケと吠え魂だけは欠かさなかった。

2006年の春、スッキリが始まった。

スーパーサッカーやガッチリ・マンデーでキャスター業が増えていたとは言え、朝のニュースキャスターである。

今でこそバナナマンの設楽さんや一時はロンブーの淳さんもキャスター業をやっていたけれど、吉本の高卒芸人、それも本人たちが社会不適合者なんてタイトルをつけたDVDを発売していて、若手の頃には違法駐車の罰金を延滞し過ぎて捕まって留置所で2番と呼ばれた加藤浩次が朝の顔である。

ちょっとした事件だった。

毎日平日朝真面目に振るまわなくてはいけない反動か、2人の吠え魂の最後の時期だから記憶が相当美化されているかもしれないが、ラジオの下ネタや悪ふざけは一層ひどくなっていた気がする。

 

テレビでも極楽とんぼの面白くない方と言われると加藤浩次が爆裂お父さんでそのフラストレーションを昇華しようとしていたことも覚えている。それこそ、確か事件の週の前の放送か、2週間位前の放送内容だった。

芸人の活動だけにとどまらず、加藤浩次は前述のスーパーサッカー。相方は野球のラジオ。

お互いドラマにも出て、芸人としての活動に加えて幅の広い活動に一番脂の乗った時期だった。

朝いつものように起きるとあのニュースが報じられていた。

私が極楽とんぼのラジオを聴いていることを知っている両親は一応気を遣ったのが、彼のことを悪くは言わなかったけど「どうなっちゃうんだろうね」と言った。

私が一番知りたかった。

吉本を解雇される。

吉本の芸人さんを好きになってほぼ4年、解散や引退、芸人さんは社会生活を送る上でかなりギリギリのラインにいる人も多いから不祥事めいたこともなかったわけじゃないけど、解雇までされるというのは聞いたことがなかった。

前代未聞の非常事態。

動揺したまま高校に行って、家に帰ってきて、ネットニュースを見たら加藤浩次が号泣したことを知り、You Tubeでその動画を見た。

加藤浩次が泣いているのをそれまでに1度だけ見たことがある。

めちゃイケのSPで生まれたばかりの小羽ちゃんを抱いたとき、ポロリとこぼした嬉し涙だった。

でも、パソコンに映ったその姿は悔しくて悲しくて大号泣をしていた。

慣れないバラエティに出てメソメソ泣くアイドルにテレビは戦場だと容赦ない言葉を吐いて先陣を切るめちゃイケの若頭が泣いている。

異常事態だった。

吉本を解雇、事実上の解散。それ以上のことは何もわからなかった。

 

その週の極楽とんぼの吠え魂、事前に最終回になることは報じられていたと記憶している。

開始早々、事件について詫びて、相方には会っていないけれども、報道で伝えられているように相方が解雇になって事実上の解散と言われているがコンビの解散は「俺と相方が決めること」と強く宣言した声に救われたのを覚えている。

 

それから8ヶ月後、深夜金曜3時の時間帯に加藤浩次の吠え魂が帰ってきた。

冒頭と最後、必ず極楽とんぼ加藤浩次と名乗ること。

でも、相方と親交のあった後輩がそれとなく相方の話題を出すと話をそらしたり、話題の中で相方に会えばきっと殴ってしまうと言った発言もあった。

 

先日のめちゃイケめちゃイケメンバーの中には僅かながらに連絡を取ったことのあるメンバーがいたことが触れられているし、昨年加藤浩次が後輩たちと行ったイルネス製作所の最終公演を相方が見に来ていて、共演者の後輩芸人の働きかけにより最後に9年ぶりに同じ舞台に立ったこともニュースになっているけれども、それでも最初の数年は全く連絡を取っていなかったのだ、加藤浩次は。

それは、芸人人生をぶち壊した相方への怒りなのか、娘を持つ父として未成年淫行に及んだ相方への怒りなのか、そういうことは一切語らなかったけれども、この10年のうち5年くらいはいじられても頭を下げるばかりで、将来的なコンビでの活動について加藤浩次は触れることがなかった。

コンビとしての未練はずっとあったと思っている。

だから名乗る時は極楽とんぼ加藤浩次と名乗る。

でも、相方への怒りだったり、社会的な反応だったりそういうものから解散に踏み切ることも再結成のために周囲に働きかけることもできなかったのだろうなと勝手に思っている。

 

それから、2014年、イルネス共和国の公演が発表された。

後輩たちとコントをするイルネス一座の旗揚げで、あの事件以来ネタをするのは初めてと報じられていた。

その前後からコンビ活動の再開を願っている発言も何度か聞くことがあった。

芸人人生をこれだけ振り回しておいてきっとまだ許していない部分はあると思う。

けれども、芸人としての加藤浩次が相方として道連れにするのは道連れになるのは山本圭一しかいないんだろうと思った。

 

  • 活動再開に思うこと

私が中学生高校生の時に好きだったもの。

お笑いとTHE BLUE HEARTS

どう考えても一般的な会社勤めは無理そうな態度だったり格好だったり、そういう大人が好きだった。

私は偏差値60くらいの中堅進学校の中で勉強が少しばかり出来るくらいで、取り柄もなくてアトピーで人とコミュニケーションをとるのがびっくりするくらい苦手で、アトピーバイキンといじめられることもあって、いじめられても周りの大人にに守ってもらえるように、大人が望む優等生を演じることが唯一の処世術だった。

その処世術を捨てて大人に反抗する勇気もなかったけれども、そんな処世術でしか学校という集団社会で生きていけない自分が情けなくて息が詰まってずっとずっと苦しかった。

だから、テレビやラジオの中とはいえ、社会的にギリギリな大人たちがふざけてギリギリのところで生きていることに救われていた。

大人の理想とか校則とかそういうものを捨てても生きていける彼らにずっと憧れていた。

 

社会的にギリギリセーフだから笑えていた彼ら。

相方1人とは言え、不起訴にはなったとは言え、社会的規範から外れてアウトになってしまった相方を持つコンビを見て、あの頃と同じように笑えるのか、本当はよくわからない。

 

10年前、女子高生という立場で感じた、自分と同じようなまだ未成年の女の子に手を出した行為に対する生理的嫌悪感も消えたわけじゃない。

本当に個人的な話だけれども、あの事件があった私が高校1年生だった時、しょうもない理想を押し付けてくる先生たちとは違った、恩師だと思っていた先生が、買春をして捕まったこともあって、男性の性的暴行の中でも特に未成年淫行には嫌悪感しかない。

先生の行為のせいで、中学時代にあったわずかばかりの楽しかった思い出だって、素直に良い思い出に出来ない。

相方という距離よりもずっとずっと遠いのに、私は先生のことを許せていない。

 

だけど、だから、うんと近いところにいて、もっともっと許せない気持ちを持ったはずの加藤浩次がそれでもコンビとして活動したいという思いの形を見てみたい。

先のめちゃイケで、「本当にどうしようもないやつだ」と言いながら、「それでももう一度やりたい」と泣きながら訴えるお笑いコンビという運命の相方に出会ってしまった奇跡を私はもう一度見たい。

 

女性ファンとして生理的嫌悪感は消えたわけじゃない。

あの頃と同じように笑えるとも思ってもいない。

でも、お笑いコンビが見せてくれる奇跡を私は信じたい。

 

開演まで1時間を切った今の心境。

いわきへ向かう特急の中から。