ジッケンノート

社会人を目前に初めてジャニーズに落ちた人間がどのような経過を辿るのか記録する

ジレッタと虚構とアイドル〜横山裕主演舞台「上を下へのジレッタ」感想

先月、初日の幕が上がってから断片的にツイートしたりリツイートさせてもらってジレッタがどういうものなのか少しは記録に残したけれども今一度きちんと感想と舞台を通して考えたことを少しはまとめることにする。

 
トーリー

1960年代、東京。
 自称・天才TVディレクター門前市郎(横山裕)は、その斬新すぎる演出が大手芸能プロダクション竹中プロの逆鱗に触れ、テレビ業界を追われてしまう。門前はこれを機に身辺を一新しようと、契約結婚していた彼のブレーンである間リエと離婚。
 門前は竹中プロをクビになった覆面歌手・越後君子をスターダムにのし上げることで復讐しようとする。が、現れた君子の容姿が実は不器量であったことを知る。しかし空腹となった君子はみるみるうちに絶世の美女へと変貌を遂げる。なんと空腹になると変身するのだ。
 門前はすぐさま芸能事務所『門前プロ』を立ち上げ、芸名・小百合チエと名付けた君子と専属契約を結ぶ。事務所設立および小百合チエお披露目の記者発表を終え、目玉企画としてブロードウェイのミュージカルスター、ジミー・アンドリュウスとの共演を目論む。
 チエには共に上京した同郷の恋人、漫画家の卵である山辺音彦がいた。一緒になるために成功を夢見る貧しい二人……。
ある日チエを訪ねてきた山辺が見たのは、仕事の為に空腹を我慢させられ、あられもない姿で写真撮影をしている様子だった。門前は怒り狂う山辺をなだめながら外へ。そのままビルの建設現場でもみ合い、山辺は足を滑らせ、ビルの土台と地面のすき間の穴に落ちてしまう。山辺の死を確信して呆然とする門前…
 しばらく時が過ぎ、門前は芸能界での大きな仕事に失敗し、落胆の日々を送っていた。そんな中、荒唐無稽な妄想(ほとんどはかつてボツにした漫画のアイディア)によって作られた、夢とも違う『ジレッタ』と呼ばれる世界を彷徨い生きていた山辺と再会。『ジレッタ』の世界を体感した門前はすっかり魅了される。

「テレビなんざぁ今にラジオと同じ空気みたいな存在になる。大衆はもっともっとあくどい刺激を求めるようになるんだ。じゃあそいつは何か? その世界へ自分ごと飛び込めるような刺激……『ジレッタ』さ!」

 門前は『ジレッタ』で再起を図り、自分を追放した芸能界にも復讐を企てる。それはやがて政治の世界をも巻き込んでいく…

妄想歌謡劇「上を下へのジレッタ」 | Bunkamura

この作品は山辺音彦が作るジレッタという虚構に魅せられてどん底から成り上がり、結果的に欲に飲まれて破滅への道をたどる門前市郎の物語である。
 
この舞台の主演はアイドル横山裕であること。アイドルという言葉は英語のidol:偶像から来ている。
よくアイドルは虚像と例えられるがこれはアイドルという言葉の成り立ち故の現象であるのだろう。
歌う人だからSinger、踊る人だからDancer、演じる人だからActor。
でも、華やかな衣装を着て歌ったり踊ったり演じたりするとそれはIdol、実体のないものと呼ばれてしまう。
とてつもない歌唱力を持っていても、素晴らしい演技をしても、それぞれの世界で正当な評価を受けづらいアイドル。
 
ジャニーズに限らずアイドルを起用する舞台は少なくはない。
人気があって集客力を見込まれてキャスティングされている部分は少なからずあるのに、チケットが即日完売すればジャニオタが買い占めたと言わんばかりの皮肉が関係者から飛んでくる。
確かにアイドル、特にジャニーズ事務所のファンの母数は桁外れに大きい。
例えば1万人のファンがいるアイドルと1000人のファンがいる俳優さんが居たら、約750席の客席の約680席がアイドルのファンで埋められてしまうことは別におかしくない、当たり前のことだ。
ただ、アイドルのファンの数は前述のように桁外れだからアイドルとその共演者のファンの比がえげつないことになる。
えげつないがおかしいことはどこにもないし、少なくともFCやプレイガイドを通じて定価で購入している限り間違ったこともやましいこともどこにもない。
 
炎上というほどのことではないけれども、ジレッタに関して関係者の1人からジャニオタが買い占めているような発言があったことから初日から数日オタク界隈がざわついた。
その方が主演以外には好意的なコメントを残していたこともあり、ジャニーズとジャニオタが嫌いなのではという推測から少しこじれた部分もあったと思う。
人によって評価は異なるのであくまで個人的な意見ではあるが、某関係者と同じ初日公演を立ち見席で舞台の1/4ほど見切れてしまう状態で見た限りではやはり舞台慣れしている竹中直人さんや銀粉蝶さん、マルチに活動されているが歌の仕事の割合が多いしょこたんやハマケンさんに比べると演技も歌も見劣りしてしまう部分はあったと思う。
 
それでも歌や芝居の技量だけで決めつけてしまうことは原作の世界観を否定していることになると私は観劇して感じた。
原作及び公演の中で「今にテレビは空気になる」と言われている。
日本でテレビ放送が始まったのは1953年、カラー放送が始まったのは1960年。
1963年の紅白歌合戦は歴代No1視聴率81.4%をたたきだしている。
そんなテレビがメディアの王様だった
1960年代に「今にテレビは空気になる」と言い切った手塚治虫氏。
実際21世紀はインターネットが台頭して、撮影済みの動画を配信する形式からリアルタイムで映像を配信するインターネットテレビ局が乱立をしている。
日本国民の最大公約数を狙った特に響かない番組より視聴者は自らが観たいものをインターネットを使って取捨選択するようになった。
テレビ業界は斜陽と言われることも珍しくない。
でも、ジャニーズのアイドルは何の方針かわからないがインターネットに写真や映像を流すことをひどく制限されている。
テレビが完全に消滅することはまだないと思うがインターネットがメディアで強い力を持つようになった今、メディア戦略を誤ればテレビと一緒に空気になって見えなくなってしまうかもしれない。
斜陽の文化でしか存在できないジャニーズアイドルに「今にテレビは空気になる」と歌わせるジレッタは何と皮肉が効いているのだろうと思う。
 
そして、もう1つジレッタとアイドルを象徴するシーンで外せないのは、「山辺がチエの復讐のために元いた所属事務所の社長に見せた売れないアイドルのジレッタ」である。
このシーンの中で前所属事務所では売れないアイドルだったしょこたん演じる小百合チエをセンターに西城秀樹野口五郎、ピンクレディや山口百恵など70〜80年代に活躍したアイドルを思わせるカツラや衣装をまとったアンサンブルの人たちが
「何日寝なくても歌って踊れる体力」
「嫌な目にあっても 笑顔絶やさぬ神経を」
と歌う。
そして、
「歌えないなら 干しちゃおう」
「もう芸能界に居場所はない」
「移籍なんて許さない」
「お前の名前も事務所のもの」
「飼い殺し」
と続く。
 
そして、歌えなくなったアイドルはスキャンダルで自滅に追い込まれる(原作ではせめてスキャンダルで売ると表現される)
 
「熱愛 不倫 淫行 暴行 薬物所持」
破局 妊娠 交通事故 性犯罪」
 
やっていない、身に覚えがないと叫びながらスキャンダルが並び立てられる。
 
このシーンは原作を元にだいぶ膨らませて作られているが作品が書かれた50年前と今も人々がアイドルに求めていることは、「関係者が、ファンが、望むように清廉潔白に笑顔で歌い続けること」と暗に示されている。
 
そして、このシーンの最後は首吊りの輪が天井から降りてきてその輪に手をかけ「Good bye」と歌う。
スキャンダルはアイドル生命の終わり。
だから自殺を暗喩する首吊りのロープである。
 
好きなアイドルが暴行・性犯罪などというスキャンダルをすっぱ抜かれることはレアケースではあると思うが、真偽のほどはさておき熱愛報道すら全くないというアイドルは少ない。
これをアイドルファンが多数の客席に見せるのだ。
観客それぞれが身に覚えのない不祥事をでっち上げられたそれぞれのidolの姿を思い出す。
華やかな衣装と歌とダンスを使ってファンは大好きなアイドルにidolでいてもらうためにとてつもなく理不尽な要求をぶつけていると突きつける。
 
例えばこの舞台が横山さんが主演でなくても、しょこたんがヒロインでなくても、採算は十二分に取れるくらいチケットは売れたと思う。
何てったって、演出が倉持裕さんで、音楽だって宮川彬良さんなのだ。
例えば有名なミュージカル俳優の方に主演してもらった方が歌も演技もクオリティは高かったかもしれない。
でも、この「上を下へのジレッタ」という作品を舞台にする上で主演に横山裕を、ヒロインにマルチタレントだがアイドル的な側面も持つ中川翔子を据えたことでこの作品が持つ毒々しさが最大限にエンターテイメントとして昇華されたとオタクの贔屓目はもちろん拭えないがそう信じている。
 
そして、アイドルと虚構について考えさせてもらった宮川彬良さんがパンフレットに寄せていた言葉を。
たぶん横山ラブが客席に溢れているはずで、彼の最後のパーツがそのラブな部分、ファンや見守ってくれる人。声援や評判や、あるいは叱咤もあるのかもしれないけど、各種の愛を受けることできっと完成するんだと思います。

アイドルは虚像と言われると冒頭で記したが、実はこの考え方は個人的には好きではない。アイドルという職業を選んでいる生身の人間だと思っている。
でも、生身の人間がファンに夢を見せようとしてくれることで、ファンがその夢を信じることでアイドルが存在するんじゃないかと考えた。

 

2017年6月19日 上を下へのジレッタ 大千秋楽の日に